彼に降る雨

※八房龍之助『仙木の果実』シリーズとのダブルパロです。
初版は10年以上前の漫画なので、ご存知の方は私と類友扱いしちゃうんだぜ。


※菊さんがいますが、にょたでおばあちゃん扱いです。
※ローデリヒさんもいます。紳士な貴族ってイメージです。


※親分の関西弁…文字にすると変なところもあるのでフィーリングでお読みください。



※実にすみません、BLはまだまだ始まっておりません。


※よしOK!な好奇心旺盛な方は是非どうぞ、さあどうぞ。




アントーニョに拾われてから、いつも一緒にいた。
安全と衣食住と昼寝まで付いた代償は、変わった手袋をつけて彼を守る事と時々使い走りの小間使い、人前では助手のフリをする、それだけ。愛想よく女の子に声をかけても怒られない、むしろ喜ばれた。疑問を持ったことなんて、無いと言えば嘘だけれど、アントーニョが何者だって構わなかった。
好きとかそういうんじゃない、ないけれど、一緒に暮らせてたぶん幸せだったから。

「どうしよう。」
何度も呟く声を雨音が掻き消していく。
昨夜は眠れなかった、本が山積みになった居間のソファの上で毛布にくるまってアントーニョを待った。気付いたら時計は朝の時間を知らせていた。不安を煽られて心臓が押しつぶされそうで、ロヴィーノは膝を抱えた。
「…チクショーあの馬鹿…早く、帰って来いよ」

いつも出かける時は必ず教えてくれた、ふらりと出かけても夜には帰ってきた。
どうして昨日、あの時、目を離してしまったのだろう。
きっとあの一瞬なのだ、ほんの短い時間だけだったのに彼はいなくなった。
何かあったんだろうに、彼の気まぐれだろうと自分は部屋に戻ってしまった。
あの時大騒ぎをしていれば、今こんな思いをせずに済んだのに!


「魔女のおうちって見てみたない?」
すごくいい事を思いついたとばかりに提案する彼に、とりあえず頷いてついて行った。

「お、良かったまだここにあったわー」
どう見ても普通のアパルトメントの扉をノックをすれば、太い眉に無表情な東洋人の少年が出迎えてくれた。
魔女の館に東洋人?とロヴィーノは首を傾げる。
「ワルプルギスの長老はんおる?」
慣れた風のアントーニョに続いて扉をくぐれば、その中は外観を裏切って吹き抜けの高い高い天井のホールだった。窓の形までが違う、どこの王宮かと思った。

「おや、お見限りでしたねトーニョさん」
階段の上から黒いドレスに黒いグローブの華奢な女性が声をかけた、彼女が家主であるらしい。
美しいというよりは可愛らしく、どこかの貴婦人のようにも少女にも見え教会のシスターのように年齢が読めない。東洋人にしては肌が白く唇が赤い、眼鏡の奥の瞳は黒以外の色彩を含んでいるように見える。不思議な雰囲気のある女性だが魔女と言うには慎ましやかで、ミステリアスな未亡人と言う方がふさわしいように思えた。
「菊ちゃんご無沙汰ー、相変わらず別嬪さんやねー」
「相変わらずお口がお上手ですね。よしてくださいよ年寄り相手に気色の悪い。で、何の御用です」
「うん、近頃けったいなお客さん来ぃひんかった?」
「さて、ここのところ寝床から出ておりませんで…香くん、何かありましたか?」
彼女が香と呼んだ少年を見るのにつられてロヴィーノも振り返ったが、少年は表情を変えることも頷くこともせず行儀よく立っているだけだった。
ロヴィーノには見えなかったが、ポリポリとクッキーを噛み砕くような音だけが聞こえた。首を傾げるロヴィーノを置いて、家主とアントーニョは彼の立つ背後に何某かの亡骸とそれを咀嚼している小鬼を認めた。
「あったようですねぇ…まあ構いません、お上がりくださいなお茶くらい出しますよ」
「おおきにー。なぁ、ついでにアナキティドゥスの石余ってたらくれへん?」
「そりゃ持ってますけど」
「良かったーこれでロヴィーノの手袋直せるでー」

あなたも持っていたでしょうと聞かれてその石を盗まれたと告げたアントーニョは菊に大笑いされた。 けれどアントーニョがニコニコしているので、ロヴィーノも嬉しくなった。

「あ、せや『魔女結び』のレポート何冊か見ときたいねん、かまへん?」
「ええ、けどちゃんと元の位置に戻してくださいね、民俗学のMの棚です」
「ほいほーい」

アントーニョがいなくなると、ロヴィーノと菊の間に沈黙が降りる。
菊にじっと見つめられ、つい目をそらせずに見つめ返せば、驚いた顔で接近された。
「あらああああああ?」
「な、ななななんだよ。」
取り繕わない素直な表情の見目の良い少女に接近されれば流石に照れる。
ロヴィーノは狭いソファの上であとずさったが、菊は片手のグローブを外してまでロヴィーノの頬に触れ、またもじいっと見つめて感心したように呟いた。
「ホンモノじゃないですか…」
「は?」

「そうだったんですか、アントーニョさんの助手さんですかー」
あらあら、と嬉しそうに菊はロヴィーノの隣に座りなおし、ロヴィーノも落ち着いてティーカップから紅茶を口にした。一体なんだと思われていたんだろうか。
「私の事は菊とお呼びくださいね。何でも聞いてくださって構いませんから」
ニコニコしている菊に、ロヴィーノはならばと疑問をぶつけてみることにした。
どうも目の前のこの女性は、アントーニョの今までの知り合いとは違うらしい。さっきエーデルシュタイン卿の話も出ていたし、共通の古い友人なんだろうなとは思うのだが。
「菊…さんも、トーニョと同じで学者さんなのか?」
菊は、きょとんとして曖昧に頷くとアントーニョに言い忘れたことがあると行ってしまった。
変な事を、聞いただろうか。


「トーニョさああああん」
「…別に間違っとれへんやん。まぁ、普通は気付きそうなもんやけど」
「説明してあげましょうよ、ちゃんとー」
「せやけどなぁ、ロヴィーノはそういうの聞かへんねんもん」
そこが少し変わってるなあと思ったのはつい最近、とアントーニョは胸のうちで呟いた。
「細かい事言わんでも頼んだら全部やってくれんねん、時々ドジもやらかすけどまぁそゆとこも可愛いし。あの子も自分の事は言わんけど俺も別に聞かんでええし。そんで、今まで上手いことやってこれたし、別に構わへんと思うんやけど?」
あんな可愛い坊やたぶらかしておいて、と菊は盛大に溜息をついた。
まあええやんと笑い飛ばしてアントーニョはロヴィーノと帰路についた。
雨が降る前に帰れそうだと話しながら、思いついたようにアントーニョはロヴィーノにメモを手渡した。
「なんだよ、これ」
「んー、手袋のな合言葉のアンチョコー。事あるごとに俺にお伺いたてんの面倒やろ。修理のついでに組み直しといたから使い易い思うで?」
そして、ロヴィーノが見慣れぬ言葉の羅列を睨み、顔を上げるとアントーニョはいなくなっていた。

「チクショー…どうしろってんだよ、あの馬鹿…」
どうすればいいだろう、今まで全部アントーニョの言う事に従っていれば問題なかった。
いつだってわけがわからなくたって、なんとかなっていたのだ。
髪をかきむしり足を放り出した先に、以前ローデリヒに貰った名刺を見つけた。
藁にもすがる思いで、というよりも他にどうすることも出来ないのはわかっていたので、ロヴィーノは家を出た。

「…仔細はよくわかりました。けれど、あのお馬鹿さんの事ですから気まぐれで無いとも言えませんが」
「今まで、黙って一晩も留守にすることなんて無かったんだ。」
「私以外の誰かに相談しましたか?」
「いや、してない」
「そうですか、それは幸いですね。…つかぬことを伺いますが、ロヴィーノくんの生まれはどちらです?」
ビクと震えて、ロヴィーノはローデリヒの問いに俯いた。
「ああ、その、気を悪くしないで欲しいのですが…あなたとアントーニョがどこで出会ったのか、興味が…あるものですから」
ロヴィーノは答えない、答えることなど出来ない。答えてはいけない、と警鐘が鳴っている。
「言いづらい、事でしたか?…あなたが我々の事をどれくらいご存知なのかわからないのでもってまわった言い方になっていますが、あれは、まずまっとうな男ではありませんよ。あなたのような、前途もある少年が関わるべき人種では無いように思います。良い機会です後の事は私に任せて、あなたはあの家を出ませんか。ご両親やご兄弟、身内や友人の方はどちらです?私ならば遠方とて連絡の算段はつきますよ」
ローデリヒが好意で言ってくれているであろう事はわかった、それでも、それでもとロヴィーノはぎゅっと瞼を瞑る。脳裏に浮かんだのは初めて出会ったとき、アントーニョがかけてくれた言葉『大変そうやなぁ、手伝おか?』、差し伸ばされた手は初めての救いの手。
「身を寄せる所が無いのなら、まっとうな働き口のアテがありますから紹介しま…」
「駄目だ。駄目なんだ、きっと」

ローデリヒの申し出は、もしかしたらふたつめの救いの手なのかもしれないけれど。
「他に行くところなんか無いんだ、きっと」
アントーニョしか、駄目なんだ。

寂しげに笑うロヴィーノを見て、ローデリヒは溜息をついた。
長いつきあいの馬鹿者など放っておいてもどうにでもしようが、この少年まで巻き込まれるのは忍びなかった。18か19か、1人前の年齢に見えるがそれでもローデリヒからすればまだまだ子供だ、ましてやこの子は泣きそうな顔で笑って涙のひとつもこぼさないのだ。年少者にあんな顔をさせるとは、アントーニョは不届き千万な馬鹿者であろう。もっと早く引き離すべきだったのか、それともあの馬鹿に情操教育をほどこすのが先だったか、ひとりごちるローデリヒに教えをくれる者はいなかった。
「では、私の方でも探しておきましょう、何かわかれば連絡をします」
「うん、ありがとう、ございます」
少し口の悪い事もあるが、礼儀も知っている良い子ではないか。
この先がなんとなくわかるだけに、ローデリヒは尚更ロヴィーノが健気に見えて、頭を撫でた。
「家に帰ったらまず眠りなさい、いざという時に動けないのではいけないでしょう」
「うん、それじゃ、さよなら」
ごめんなさいと小さく告げて雨の中に消えたロヴィーノを見つめ、ローデリヒはまた深く深い溜息をついた。
「準備だけは、しておきましょうか」



ローデリヒの家を出てから妙に眠くてたまらなかったロヴィーノは、居間のソファに座るとするすると眠気に髪をひかれ、頭をクッションに沈めた。髪を塗らしていた雨粒が毛布に染みこんだが冷たくはなく、不思議に甘い匂いがした。ローデリヒの匂いに似ている、怖い夢は見ずにすみそうだと思ったところで、意識は暗転した。


ふいに、安らかな眠りは終わった。
自分の寝息が聞こえ意識がすっと浮上したのだ。
耳には変わらず振り続ける雨の音、ロヴィーノは虚ろに目を開ける。
「ああ…行かねえと…な。」

カツカツと、いつもなら石畳に響く足音も今は雨音にかき消され吸い込まれ消えていく。
悪天候に出歩く者も少なく傘も差さずに歩くロヴィーノに目を留める者も無い。

「どこへ行くんです、ロヴィーノ君。傘もささずに、風邪をひきますよ」
「…秘密だ」
びしょぬれになったロヴィーノに降る雨を遮るように、ローデリヒは傘を傾けた。
「まぁ、こんな事だろうとは思っていましたよ。」
ふう、と溜息をつくローデリヒに、ロヴィーノは静かな笑みを浮かべている。
いつもの表情豊かな彼とは、随分印象が変わるものだ。
「私の声は聞こえていますか?きっと、届いていないのでしょうね。今のあなたは、まるで人形です。」

すっと、傘の柄をロヴィーノに握らせてローデリヒは雨に身を晒した。
「前もって施法されていたのでしょうね、呼べばとんで来る頼もしい番犬というところですか…。どうせ今もその耳にはアントーニョの呼び声しか聞こえていないのでしょう。どう繕ったところで、あのお馬鹿さんは人との交わり方なぞ知りはしないのです。これ以上あなたが、馬鹿者のままごとにつきあう義理は無いのですよ。こんな物、難しい術ではありません、今、解いてしまいましょう」

眼前にすっと差し出されたローデリヒの指は、すぐにもパチリと音をたてようとしている。
ロヴィーノは、両手で包みこむようにしてその動きを封じた。
傘が音も無く石畳に落ちる。
「いいんだ。これが俺の、役目だから」
雨はためらう事無く2人に降り注ぐ。
ロヴィーノの顔を、雨粒は滂沱の涙のように流れ落ちた。
「…そうですか。」

了承したローデリヒに、ニコと笑ってロヴィーノは手を離した。
「では、お餞別です。持っていきなさい。お守りですよ」
腕に嵌められた細い黄金を見て、ロヴィーノは頷きもせずまた歩き出した。
行くべきところへ、呼ばれているから。

背を向け静かに遠ざかるロヴィーノを、ローデリヒは傘も拾わずに見送った。
「お馬鹿さんが…」
その手には、ロヴィーノの腕にあるのと同じ黄金の腕輪が握られていた。


END
(「そして、はじめまして」に続く)

10.02.07