乙女と青髭、そして必然的オイディプス


※女性不信(で歴代の妻たちを自力処分済み)なサディクさんと、体の傷のせいでお嫁にいけないコンプレックスな菊さんの話。


※菊さんはにょたです。貞淑乙女です。サディクさんがなにもかも初めてです。

※あ、NOコルセット派です(どうでもいい)


※一部ヤンデレちっくです。サディクさんが。


※名前は出ませんがハーくん大好きっこは止めておいた方が…。


※菊さんは幸せです。けれど物語はそこでは終わらないんだな!


※最後の方、暗いです。流血です。


※いきなり初夜からGO!なのにエロは無いんだゾ☆


※相変わらず長いな!だがまぁOKだぜ!っていうマイエンジェルは是非どうぞさあどうぞ。








「あ、明かりを消してください。」

燭台の灯りは月明かりよりは穏やかだが、菊にとっては恐ろしい、恐ろしい罪の宣告者に等しかった。

言わなくては、いけない。けれど隠し通せるのなら少しでも長く…。

「お前がウブなのは知ってる、けどそいつぁ聞けねえよ。可愛い嫁さんの初めてをこの目に焼きつけてえと思うのは、いけねえことかい?」

菊の髪を一房弄びながら、サディクは菊の頬に口づけた。震える両手でドレスの胸元を押さえて立っている菊は、いっそ彼を振り切って逃げられたらどれだけいいだろうかと考えた。
私だって、初めての恋で初めての結婚で初めてのこの夜が、恥ずかしくも愛情で満たされた情交になるなら喜んでドレスを脱ぎ去るのに。

言わなくては。
サディクに促され、寝台に腰掛けた彼の膝に座っても、菊はサディクの目を見ることが出来なかった。
これを見せれば、彼は嫌がるだろう。白い花嫁衣装には何よりそぐわない。こんな妻はいらぬと拒まれたら、図々しいのはわかっているけど、せめて下働きとして使ってもらえるよう頼んでみよう。お詫びのしようがない事だけれど、家事なら得意だし目立たないように振る舞うことにも慣れているからきっとお役にたてるもの。お給料もいらないから、お側に置いて頂けるだけでも私には過分な幸せだから。

菊は悲壮な決意で、サディクを見上げ、見てから決めて頂きたいと懇願した。

「自分で脱ぎます、ので。」

恥ずかしかった、とても、恥ずかしかった。
人前で、ましてや好きな人の前でドレスのボタンを外しガーターと絹の靴下と下着しか身につけていないなんて。
けれど見せねばならないのはそれではなかった。
菊の右脇腹にひとつ、右腿にひとつ、赤い丸。そこから石をなげつけられひび割れた窓のような模様、いやもっと具体的に言うなら赤や桃色と落ち着かない色むらのある太い線で出来たヘタクソな蜘蛛の巣が広がり互いを繋いでいる。
何故こんな赤々と脈うつ傷になったのか、いっそ一面のっぺりしたものなら気持ちも安らかだったのではといつも思う。
この火傷を負って以来、菊は異常な情熱でもって掃除をする。実家のもの達も蜘蛛を見つける端から潰すことが暗黙の了解になった。

「可哀想にな菊、痛かったろう熱かったろう。」

露わになった胸元、握りしめていた両手をとりサディクは菊を腕に抱いた。

「だけど俺はこの火傷に感謝しなくちゃいけねえな。これのおかげでお前を誰にも奪われずにすんだんだからな。」

「旦那様…。」

菊は今度こそ涙をこぼした、ボロボロと泣いた。今まで、ずっとうちにいた。年頃の娘たちのように出歩いたり華やかな格好をしたり恋をすることなど考えたことも無かった。嫁の貰い手も、大して見目が良いわけでもなく大きな蜘蛛の巣のような火傷のある自分など、せいぜい好事家の愛人が関の山だろうと親戚にも噂され、家族の邪魔にならぬようにただ毎日ひっそり働いて、ひっそり眠る。衣食住があるだけでも有り難いと思い生きてきた。兄は優しかったが、自分が居座るせいで妻を迎えていないようで辛かった。

だから、遠い領地のひとだと聞いても、奇人という噂を聞いても、何度目かの妻だから式も宴も無いという事を聞いても、華やかな場が苦手な菊としてはありがたかったし、何より自分を見たうえで望んでくれたことが嬉しかった。
物言いはぶっきらぼうでも、仮面の下の目は優しかった。
今日の輿入れまで二度しか会っていないが、火傷を負ってから初めて花を贈られ、嫁入りのドレスまで誂えられた。手をとり、指に口づけられ求婚された、それは初めての女性として扱われた瞬間だった。それだけで、天にも昇る気持ちだった。
まして兄の恩人なのだから否やはなかった。

だから、早く火傷の事を言わねばと思いながらも、初夜を迎えてしまったのだ。

 

「痛かったら言うんだぜ。お前が気持ちよくて溶けちまうくらい、優しくしてえんだ。」

優しい口づけは次第に熱を帯び、菊はサディクの熱にうかされて、もう何が何かわからなくなった。ふかふかした寝台に埋もれるようにもがいて、彼の言葉に頷くのが精一杯で、気がつけば朝だった。
手足は指一本動かなかった、それどころか下半身はまだ彼とつながっているようで、甘い痺れに思考が麻痺した。サディクが食事を運んでくれ、少しだけ甘いものを口に入れて眠った。
働き者の菊にはあり得ないことだった。

 

サディクは満足だった、何も知らずいたいけで可憐な妻。
菊は、その傷以外は、いやその傷を持つが故にか、自分が見初めた通りの女だった。

菊は自分を地味な顔立ちというが、涼しげで黒目がちな目元も癖のない髪も、けたたましい我欲の強い女を知るサディクからすればとても好ましい。
望まぬ初夜に、あるいは初めてでないことを隠すために灯りを消してほしいと甘える女は何人もいたが、震える様子を見れば、目を合わさずに今にも泣き出しそうな顔を見れば、情交の直前まで傷の事を隠していたのが計算でないとイヤでもわかる。
謝るばかりの菊は、久しぶりにサディクの愛情をかきたてた。
財産目当てでなく契約でもなく、心から自分を慕っているらしい嫁を娶るのは初めてだった。
彼女なら、信じられるだろうか。サディクはまだ菊を信じてはいない、女は変わるという事も知っているから。


世間慣れし、妻たちに裏切られ続け、物事を斜めと言わず裏からも裏の裏からも見るサディクにもひとつ、思いつかない事があった。
自分が、菊に変えられること。

彼は白が黒に変わることは知っていても、黒が白に侵される事は知らなかった。
誰も、教えてはくれなかったから。

 

菊はサディクの色に染まり夜は誰より淫らな娼婦のようになったが、昼の菊がサディク以外の男にふしだらになることは無かった。
サディクしか知らぬまま子を成し、そして死んだ。
サディクは後を追いたかったが出来なかった。彼は菊の最後にしか菊を信じられなかった自分を罵った。


サディクは1度だけ見目の良い男を菊に言い寄らせ、夜には真実の血清と媚薬を混ぜたものを服用させてさんざん泣かせた。どうせお前も俺を裏切るのだろうと、けれど自分しか呼ばず自分にしか助けを求めない菊に後悔し懺悔し、満たされた。
満たされたくて、数度、そんな歪な情交を過ごした。
薬を使いすぎれば廃人になってもおかしくなかったのに。

産後、確かに自分の血をひく赤ん坊に乳房を含ませ幸せそうに笑う菊を見て、サディクは自分が変われたとやっと思った。愛され続ける事を信じられた。

「小生意気なツラしやがって、目の色はお袋に似やがったな。」
お前に似りゃあいいのにと口では憎まれ口を聞きながら、サディクは息子の自分と同じ双葉のような癖毛をつついては、満足そうな笑みを浮かべていた。
「髪も、目も、貴方の面影ばかりで、嬉しいです。」
「そうかい?俺ぁお前似の娘も欲しいねぇ。」
「まぁ、旦那様ったら。」
ふふふ、と笑う菊は儚げで出産の苦労を物語っていた。
「疲れたろい、そろそろ休みな。」
サディクは、息子を乳母に託すと、菊の傍らに腰掛けその頬を撫でた。
消えてしまわないか、確かめるように。
「ねぇ旦那様。」
「ん?」
「菊は、世界一の幸せ者ですね。」
大きな掌に頬を撫でられ、菊はうっとりと微笑んだ。

けれど、菊は産褥で死んだ。
体力が落ちていたところ都へ参上せねばならないサディクを見送ったのがいけなかったか、風邪をひいたのだ。ただの風邪だったのだ、それなのにもう大丈夫だと思っていた火傷から血を吹き出して死んだという。
臨終の際には間に合わなかった。
死に顔は薄く化粧がされ美しかったが、傷跡は忠実な妻のメイドにより包帯で美しく包みあげられサディクが確認することは出来なかった。
醜い傷跡をサディクに見せないようにとの妻の最後の願いだったという。サディクの妻への独占欲を何より知っている少女も、こればかりは譲らなかった。菊が拾いあげ、召抱えたといえば聞こえはいいが躾も読み書きも何もかも菊が与え育てたような娘だ、命に変えてもお見せできませんと言い張った。
サディクはそれを受け入れた。

やり場の無い憤り故にサディクは神を呪ったが、何より呪われるべきは自分の諸行だった。

病への抵抗力が人より弱っていたのだ、本当は出産すら危うかったのだ。
泣きわめきすがりついた妻の寝台の影で見つけた日記でそれを知った。
菊はその事を、決してサディクには伝えないようにと医者に口止めした。
妻はサディクが与えた宝石を目立たぬものから少しづつ、サディクには大切にしまっていると偽って医者に与えていた。


医者は殺した。


久しぶりにこの館で人を殺した。


菊が嫁いで以来、清められ穏やかだった館は菊が消えれば元に戻るのは当然だろう。
菊が亡くなって、館の傷みや生活に不便さが顕著になり多くの使用人を雇ったが、サディクを諌める者など勿論いなかった。
サディクの、菊以前の妻たちが行方不明になった頃の風評はこの田舎ではなかなか消えないのだ。
朗らかな、ただ菊にばかり執心していたサディクを知るメイドの娘も、サディクによって菊の兄の下へ送られた。
あの娘が、菊のいない事をなにより実感させたからだ。


息子に、母が死んだのは父のせいだと言いきかせて育てた。
けれどお前が生まれなければ母は生き長らえたかもしれないとも教えた。


乳母はサディクを諌めはしなかったが、息子には母がどれだけ息子を待ち望んだかまるで夢物語のように語って聞かせた。
息子は、暗く遠い目をする口数の少ない少年に育った。


サディクは息子に愛情を注がなかったが、アドナンの男として戦う術だけは仕込んでおいた。
息子に胸を刺された時、その刃が肉の間でえぐるように回された時、サディクはよくやったと彼の頭を初めて撫でた。
そして息子の後ろの妻に笑いかけ、息耐えた。


血まみれで倒れ伏すサディクの傍らで立ち尽くした息子は、母を呼んだ。
「かあ、さん。」
振り返り、優しく微笑む母の絵にすがりついて泣いた。


母さん母さん母さん助けて寂しいよ痛いよ母さん助けて。


面影すら知らない、絵のなかの微笑む母だけが彼の救いだった。


菊は、サディクに救われ死んだ。

サディクは、ふたりに救われた。


幼い息子は、いったい誰に救われるのか。





おしまい

09.09.08