祈ることで救われる


「東郷は運のいい男なんですよ、海が彼を守ります。あとは、そうですね私たちの心意気次第というところでしょうか。」

大きな、日本さん自らも出る海戦を前にして彼はとても穏やかに微笑んだ。
これがサトリの境地というやつだろうか、彼の心中まではわからない。
だがこの笑顔を見せる彼だからこそ民たちは安らぎ、また守りたいと思うのではないだろうか。
異国の俺でさえ、この笑みに揺るぎない何かを感じるのだから。
祈りもその身を案じる言葉も、全て陳腐に思えたがそれでも俺は祈らずにはいられない、その身が魂が傷つくことのないようにと。

「日本さん、その。」

腕を…と言い利き腕であろう右のそれを差し出されたのは、信用されていると言うことだろうか。
緩む口元からは気をつけなければ愛の言葉をとめどなく紡いでしまいそうだ。
海がトーゴーを守るならあんたは俺が守りたい、あんたの隣であんたに向けられた全ての砲弾をなぎはらいたい。
けれどそれは、あんたと共に戦場に立つことは、叶わないから俺の代わりにどうかこれを。


ナザル・ボンジュウ、災いを睨みつけはねのける聖なる目の守り。


ミルク色の彼の腕に、青い石に描かれたいくつもの目をまきつければ、その色のコントラストが肌の白さをひきたてる。
守りを託し、思い人の肌の美しさにほぅと息をつくトルコに、日本は微笑んだ。


「ありがとうございます。」


仮面ごしにも彼が照れたのがわかる。
彼の行為への喜びと、その態度の愛らしさに頬が緩み、とろけてしまいそうだ。
そう、いつからか、仮面をつけてもなお彼の表情がわかるほど親密な友人になっていた。
強い魂と揺るぎない背中豪快な笑顔、数々の戦場を勝ち抜いた自信と誇り、今でさえ太陽のような彼の在りように、全盛期はどれほど眩しい存在であったのかと恍惚にも近い憧憬を抱く。
柔らかな笑みと先程の真摯な眼差しに、言葉に、身に余る親愛に、私の胸は幸福で満たされる。
もちろん、それ以上を求めていないとは言わないけれど。


「あー、そういやこっちはずいぶん静かなんですねぃ。」


日本が自分を見る感謝に溢れた無垢な眼差しに堪えきれなくなり話題を探す。
「うちじゃ、あっちこっちで聖句が聞こえてきますぜ、戦の前は特に寺院総出でさ。」
「まあ、それはありがとうございます。」
きょとんとする俺を見て、ふふふと悪戯が成功した子供のような顔で笑った。

「ご存知なんですかい?その〜うちの、そういうのは。」
「トルコさんのお宅の皆様が、熱心に勝利祈願をしてくださってると、うちの方々が新聞で。」
ありがとうございます。
また日本さんは笑った。
照れること、でもないのだろうがまさか知られているとも思わず俺は無性にこっぱずかしくなった。
偲ぶ恋がまるばれになったような、つまりはそういう事だ。


「あの方が、かつてトルコさんのお宅まで行かれたことは存じておりますから…
そうですね、あなたを傷つけた分くらいは痛みを感じて下さるといいんですが。」

口元の笑みはそのまま、ただ静かな眼差しを伏せて、湯のみを見つめる横顔にトルコはぞくりとした。
「負けませんから、ね?」


彼の祈りよりも強い守りなどあるものか、彼の祈りこそが私を奮い立たせる。
思いをこめて吐いた言葉だったが、耳に届くそれは愛の告白のように聞こえた。
だとしたら、なんて臆病な愛の言葉。
気づかれぬよう息を潜めて、それでも良く思われる事を願ってる、我が儘な愛の言葉。
まるで私そのものだ。
私を見つめて彼が息を呑むのを認めて、私は微笑み、私の唇は更に傲慢な愛を囁く。


「あなたの祈りにかけて、必ず。」


愛しいひとの言葉は、まるで愛の誓いのように俺に染みこむ。
ちくしょうあんたやっぱり天使じゃねえのか?
彼の言葉には嘘がない、俺は歓喜と恐怖に震える。
あんたの勝利を願う心に嘘は無い、だがそこにロシアへの対抗心とあんたへの独占欲がどろどろとない交ぜになっていると知ったとしても、あんたは笑ってくれるだろうか。
ああ、愛しいひと
俺は祈らずにいられない祈る以外何もできないとしても。
ああ、そうか。
他に何もできないから俺は祈るのか。

あんたの勝利を
あんたの存在を

胸からこみあげてくるものに、トルコはたまらず日本の手を両手で強く握り締めた。
「俺の祈りは、あんたの神に届きやすか?」

「あなたの祈りが届かなくて、誰の祈りが届きましょう。なにせうちの神様は寛容なんです、異国の私の為に祈って下さる優しいあなたの言葉が届かないはずがありません。」


この胸に届くのは、私の為に祈ってくださるあなたの優しい言葉ばかり。
ええ、あなたの祈りを聞き届けない神など、きっと神様ではないのでしょう。


「あなたの祈りこそ、何より尊い私の誇り、私の剣。」


握り締めるトルコの手を握り返して、包みこむ日本の手はとても暖かい。
冷え症なのだと笑ういつもの手とちがう温度は、自分の祈りが熱にかわり彼に宿っているようだ。
ああ、ちくしょう。
目頭が熱くなり胸に熱くうずまく感情が制御できなくなるのを必死で押さえる。
出陣前のこの人に、みっともねぇとこなんざ見せられねえ。
つばを飲みこみ、唇をひきしめ顔を上げると真正面、穏やかに微笑んだ日本と確かに目があう。
口の達者さに日本の頬を染めさせていた自分が、何も言えないなんて。
トルコは自嘲し、微笑んだ。
けれど、いつもと逆転した状態すら、自分の魂が彼に宿っているかのようで嬉しいのだ。

そう、俺はこのひとに溺れている。
あんたこそ、何より尊い、俺の太陽。