久しぶりに日本がうちに来る事になった。
普段はフットワークの軽いトルコが北キプロスを連れて日本宅に入り浸る事が多い。
それは今は北キプロスがいる以外は新婚当初からのことで、日本では通い婚という古い習慣であるらしく、トルコも日本もその状態に馴染んでいる。
アメリカやらギリシャやら奥方の盟友たらの客人がめったやたらに多い以外はまあ、日本宅で穏やかに寛ぐのも充分素晴らしいのだが、やはり自分のうちでとなると少し、いやかなり期待をしてしまうトルコだった。
何がってそれはやはり、ナニである。
奥方の手前はっきり言うのは憚られるが、実は最近はご無沙汰であったりするしとかなんとか云々。
とにかく今回はかなりのんびりと滞在出来るので、2人はあえて予定を何も決めずにいた。
トルコとしても久しぶりに家事やらうちの事から解放してやりたい気持ちもちゃんと(建前だけでなく)あったので。
久方ぶりのトルコの館は、いつもよりも花が多く飾られ女主人を歓迎した。
日本は、嬉しそうにトルコ手ずからのチャイを受け取り、ソファにくつろいだ。
「あら、あなた、北キプロスくんは?」
「ああ、しばらくは自分とこに戻ってるってよ。夏の間は離れてる事が多かったからな。」
実はトルコが遠まわしに頼んで2人きりにしてもらったのだが、勿論そんな事は言えるわけがない。
「今日はどうする?このまま休むかい?」
「あ、お買い物に行きたいです!」
身を乗り出し目をキラキラさせて、チャイグラスの可愛いのが欲しいという奥方にそれだけでは済まないだろうと思いながらトルコは頷いた。
「じゃぁバザールの方だな。」
「あ、おでかけの前に着替えてきていいですか?日焼け止めも塗りなおしたいですし。」
「おう、構わねえぜ。」
すみません、パパッと済ませますから〜…と寝室に向かおうとする奥方にふと思いついて腕をひいた。
「塗ってやろうか?」
「…ばか。」
頬を染めた顔ににやけた途端、レースのストールを顔面に押し付けられた。
されるがままにストールを顔に押し当て、クックックと笑えばもう!と怒った声が寝室へ消えた。
どうも自分はこのうえなく浮かれているとトルコはようやく実感した。
「お待たせしましたー。」
ジャーンと言いながら腕を広げた日本に、トルコもノリ良くおおー、と感心の声をあげる。
感心したのは、勿論本当だ。
「別嬪さんが町娘風にお色直しだねぃ。」
「ふふ、ちょっと若作りですけど帯も動き易いのにしてみました。」
日本は涼しげな藍の着物姿だ。
トルコだけでなく彼女の方も浮かれているのだろう。
トルコの前で、少女がおめかしをした時そうするようにくるりと回ってみせる。
涼しげに一見細い縦じまのような藤の花のラインが入ったこれはトルコはまだいまいち区別がつかないが着物というより浴衣で、この夏の前にトルコが生地を選んだものだ。着たところを見ないのでまだ出来ていないのかと不思議に思っていたのだが、今回の旅用にとっておいたらしい。
かんわいいんだよな!まったくこういうところがよ!
はにかんでそう告げる日本に、トルコはご満悦である。
襟元は白で袖からもちらりと白と淡い紫のレースが二重にのぞいている。
藍と白にもう一色差すのがな、洒落てんだろ?選んだ色もさりげない色気がなこう…わかんねえかねぇ?
いやわかんねえほうがいいんだけどな!
トルコはうきうきと日本の手をとった。
好奇心旺盛な奥方は、色々なものに気を惹かれて迷子になってしまう。
いつもは北キプロスも一緒なのではぐれても、少しすればトルコが見つけやすい位置に日本を誘導してくれ尚且つ虫除けも引き受けてくれるのだが今日はそうもいかない。
腕も組んだ方がよくねえか、とトルコが言えば日本ははにかみながらそれに従った。
きちんと絡んだ腕を確かめてトルコはふと気がついた。
「お前ぇ、その袖の紫は白いのと二重になってんじゃねえのかい?」
「あ、ばれちゃいましたか。」
さすがトルコさんです。と嬉しそうに日本は笑った。
「以前頂いた、スカーフについていたあなたの国のレースの…えと。」
「オヤか。」
「あ、はい、そのオヤが可愛かったので、真似して編んでみました。あんまり上手じゃなくて、衿に使うのは恥ずかしいのですけど…お袖なら良いかしらって。」
トルコは、その手編みの可愛らしい、けれど見慣れた花のモチーフを確認すると日本と腕を絡めたまま固まった。
「あの…やはりよくなかったでしょうか?」
「あ、いややや、や!いいんじゃねえか!上手くて驚いてたんでぇ!い、色もいいしな!」
「あ、はい!ちゃんと縫い針で本も見て挑戦したんですよ。色も、藍とか紫系の色がいいなと思ってはいたですが、専用の糸自体があまり置いてなくて。
手芸屋さんでこれが唯一の紫系で、しかも最後のひとつだったんですよ。」
あれはラッキーでした〜、と袖口を確かめながら語る日本にばれぬよう、トルコは胸を押さえた。
やべえ…むちゃくちゃ嬉しい。
日本がオヤを手編みしたこと、更に日本にオヤ専用の糸が存在することも、うちでは口伝のオヤの作り方が日本で本になっていることは驚きと共にやはり嬉しい。
だが何より一番はその花でその色だった。
日本に以前贈ったオヤは確か柔らかなピンク色で、実は婚約中つまり売約済の意味を持っているのだが、日本には言わなかった。
なのに今回、日本は同じ花を紫で編んで身につけている…恋愛中の意味を持つ紫でだ!
「ああ、いつまで身が保つかねえ。」
「え、大丈夫ですか?疲れてますか?」
「ああいや、悪ぃ、でえじょうぶだ。」
チュ、と日本の額に口づけてその心配そうな問いを煙にまいた。
なにせ、自制心の問題なのだから。
「じゃ、日本様買い倒れツアーと行くかい。」
「あ、無駄遣いはしませんからねっ」
「敏腕ガイドにぬかりはねえよ。心得ておりやす。」
「ならば、よろしい。」
芝居がかり鷹揚に頷く日本と笑いあって、バザールへ繰り出す。
とりあえず今は、世界一愛しく可愛いらしい奥方を、見せびらかしたくて仕方がない。
で、バザールにて。
「気にいったなら全部買やいいじゃねえか、安いしよ。なんなら俺が…。」
「駄目ですよっこんなにたくさんある中から運命の出会いを果たすのがいいんですっ。」
「いやいやいや…」
お前さんの運命の出会いは俺だけにしといてくれよとトルコは苦笑する。
奥方はオヤの山に釘づけである。どうもこれは収集癖に火をつけてしまったらしい。
しかもうまい具合に、色気のあるモチーフばかりに目がいっている。
勿論本人は知らないのだが、いつ教えてやろうかとトルコはによによが止まらない。
トルコにとっても、とてもいい休暇になりそうだ。
「あ、この赤いのも可愛いですね!」
「ちょっ…それぁ唐辛子でぃ!」
おわり。